我が波乱万丈の人生

コラム 「‟神はおられる”  元無神論者の証言」  ウォルター・ヴァイツ博士  訳:井上千里

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ウォルター・ヴァイツ博士

南アフリカ、ウェスタンケープ大学動物学部主任教授。現在の研究分野は栄養生理学で、栄養と疾病の関係について、多くの研究結果を科学雑誌、国際学会で発表している。また健康、創造論、聖書の預言に関する著書多数。テレビ番組アメージング・ディスカバリース(Amazing Discoveries)の講演者、公衆伝道者としても、アフリカ、カナダ、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアの各地で講演を行っている。黙示録の預言と現代の出来事を説明した36回に渡って行われた講演は、DVDに収録され、現在何ヶ国語にも訳されて販売されている。

神様なんて大嫌い!

「あなたのお母さんは、地獄へ行くのよ」。宗教のクラスの先生は何度も繰り返し私に言いました。
「そして、お母さんは、地獄で永遠に苦しむのです」。この言葉を聞いた私は固く決心しました。もし、神様が存在しているとしても、そんな神様なんて大嫌いだ。神様は愛だってみんな言っているけれど、こんなに信仰熱心だったお母さんに、どうしてそんな恐ろしい懲らしめができるんだ! 私が10歳になった時には、すでに神様の存在など全く考えるのも嫌な無神論者になっていました。

厳格なカトリック信者であった父は、若くて愛らしいドイツ人の母と出会うまでは、カトリックの聖職者として一生を送る決心をしていました。母はルーテル教会の信者でした。当時はバチカン第二公会議以前で、カトリック教会は、ルーテル教会の信者を、天国に行く望みのない完全に失われた人々だと見ていましたので、結婚には困難を伴いました。けれども生まれてくる子供をカトリック教徒として教育することを教会に約束し、母も了承の上で結婚しました。結婚後、教会内で何度か問題が起きたものの、家庭内では、両親は一度たりとも宗教の問題で論争になることはありませんでした。

私が8才になる直前に、悲劇が私たちの家庭を襲いました。母が余命2~4ヶ月の癌と宣告されたのです。揺るぐことのないルーテル教会の信仰を持っていた母は、その宣告後4年も生き延びることができました。母が手術に次ぐ手術、放射線療法などで苦しむ姿を見ていることは、私の人生の中で最も悲惨な日々でした。ほとんどの幼い少年と同じように、私はとても母親っ子でした。なぜ神様はお母さんにこんな苦しみを許されるのだろう、といつも大きな疑問を持っていました。

私は、南アフリカにあるドイツ系のルーテル教会付属の学校に通っていました。学校側は、私や他のカトリック信者の子供のために、宗教のクラスの教師として、修道女が毎日学校に来ることができるように手配していました。彼女はカトリックの信条を教えることにとても熱心でした。死が間近い母親を毎日見ている私にとって、彼女の授業はあまりにも耐え難い時間でした。

「あなたのお母さんが、天国に決して行くことができないプロテスタントであるというのは、とても悲しいことです」。そして次の言葉は決まって、「お母さんは地獄で永遠に苦しむのです」と、宗教のクラスの修道女は、何度も繰り返し私に言いました。もうお母さんは病気で十分苦しんでいる、愛の神様がなぜもっと苦しみを与えることができるんだ! と心の中は、疑問と悲しみでいっぱいでした。私は、父親と毎週カトリック教会に出席し、良いカトリック信者と言われるためにするべきことはすべて行っていた、模範的な信者でした。けれども、学校の修道女が、母親が地獄へ行くということをくどくどと何度も繰り返すので、私の怒りはつのるばかりでした。ある日、必死に抑えていた怒りはついに爆発しました。クラス中に自分のカテキズム(カトリックの公教要理)をバラバラに引き裂き、ののしりの言葉と共に修道女に投げつけました。

追い出される

私はすぐにクラスから追い出されました。そして、それから他のクラスの教師とも問題を起こすようになり、反抗的で、無礼で、まったく手に負えない生徒になりました。私の机といすは外に置かれ、木の上に登っては、下を通る教師に松ぼっくりを投げつけました。そして鞭で撃たれるたびに、反省の気持ちなど微塵も見せずに言うのでした。「あともう一回打ってくれる?そしたら裁判所に先生を訴えられるんだけどなー」。

最愛の母は、私が12歳になってすぐに亡くなりました。父はその後再婚しましたが、継母との関係は良いものではありませんでした。私の問題行動は、学校、そして家庭で益々大きくなり、とうとう学校から退学を命じられました。両親は、私が家から離れた職業訓練校に行くことが最善であると考えて、すでに手続きしていました。違う、これは自分が行きたい道ではない! と、この時に初めて我に返りました。私は親類を説得して、そこから他の学校に通うことにしました。あちらこちらの家を転々としたものの、その時以来、学校では全く問題を起こすことはありませんでした。
高校を卒業し、南アフリカのケープタウン総合大学へ入学し、動物学を専攻しました。この大学は宗教を基礎としている大学で、神学のコースもありましたが、科学の教師陣は、驚くほど非宗教的で、進化論の擁護者たちでした。

進化論による解決

私が学んだすべてのクラスの教えが、進化論の上に成り立っていて、またたく間に、すべての進化論の理論を習得しました。これが今までの私のすべての問題を解決してくれる答だと喜び、やっと解放感を得たように感じました。私の母親は地獄で焼かれることはない、地獄なんてないからだ。天国もない、神もいない!
両親との関係があまりよくなかったために家に帰りづらい私を、大学のルームメイトは、週末や休日の度に彼の家に招待してくれました。そこで私はとても魅力的な彼の妹と出会いました。私は彼女に、あなたのお兄さんよりもっといいルームメイトになれると説得し、私たちは結婚しました。
私は無神論者でしたが、妻は私とは全く違った環境で育っていました。彼女の父親は新聞記者でしたが、ある時、アフリカ内で起こっているオカルト事件を、さまざまな角度から調査する役割が与えられました。初めは彼も、オカルトによる超自然的な出来事など全くふざけた話だと考えていました。けれども調査をしながら深く関わっていくにつれて、見えない何者かの手が彼を掴んでしまうと、どんどんオカルトの世界にのめり込んでいってしまいました。その時から彼の家に奇妙な出来事が起こるようになってきました。彼の持っていた杖は勝手に動き回るのが常でした。食器棚からお皿が勢いよく飛び出し壁に当たって壊れたり、子供が眠った後でもベッドの下に置いた靴だけは家の中を動き回るなど普通ではありえない現象を、妻は日常のこととして見ていました。父親はアフリカの魔術や、ニューエイジについての本を書くようになり、オカルトの世界では高い位に就きました。彼の再婚相手も、どのように神になるかということを教えているニューエイジのリーダーでした。ところが後に、彼らの影響が私たちにまで及んできました。

教師として

結婚後、私は動物学の博士号を取得し、南アフリカのステレンボッシュ総合大学の講師として任命されました。私の生活のすべてが進化論中心でした。進化論を教え、研究の基礎、調べる文献のすべては進化論でした。神の存在など考えることもありませんでした。もし誰かが神について話そうとするものなら、私のうちにある何かが火のように燃え上がるのを感じるのでした。
300人もの新入生を前に、進化論の講義をしていた時のことです。一人の若い女生徒が突然立ち上がりました。「授業中失礼ですが、先生の仰っていることは偽りです。神様が六日間で天と地を創られました。彼はこの宇宙の創造主です」。
私は怒りを抑えることができませんでした。そしてあなたが想像もできないくらい、この若い女生徒を猛烈に攻撃し、彼女はとうとう座って泣き出しました。上出来だった、と私は思いました。なぜなら生徒たちは、創造論を信じることがどんなに愚かなことかを雄弁に語った私に感動しながら教室を去って行ったからです。
研究室に戻った私は意気揚々としていましたが、その気持ちは長く続きませんでした。心の片隅から聞こえてくる小さな声に悩まされ始めました。「あんたは意地悪だ、よくもあの若い生徒を攻撃し、恥をかかせられたものだ!」私はその声から逃れることができず、しばらくとても落ち込みました。
その頃、私の妻は三人目の子供を妊娠していましたが、同じ頃、義父が私たちの家の隣のアパートに越してきました。オカルトと深く関わっていた彼の影響は、私たちの家庭に大変な問題を持ち込んだようでした。私の妻は妊娠期間中に様々な問題を抱え、病院の入退院を繰り返していました。瀕死の状態にまでなり、医師に子供を諦めるように何度か勧められました、私たちは最後まで諦めることができませんでした。そしてついに男の子を無事に出産することができました。

母子共に病院を退院した後のある夜のことです。私は絞め殺される夢を見ました。それはちょうど夜中の2時で、驚いて起き上がった時にひどい冷や汗をかいていました。私の胸の中でだれかがドラムを叩いているかのように心臓がドキドキしていました。その直後です、隣の部屋で寝ていた赤ん坊が今にも殺されるかのような声で泣き叫びました。妻と私はすぐに部屋に駆けつけ、子供を抱き上げました。
「なんでこの子はこんなにひどく震えているんだ?!」 私が尋ねると妻は叫ぶように言いました。「ひどい熱!このままだと死んでしまう!」
すぐに病院に行くと、子供は冷却用のテントに入れられ、点滴が始まりました。幾時間もきわどい状態が続きましたが、やがて熱は下がり、退院することができました。
不気味でした。4週間足らずが過ぎましたが、私は何度もきっかり夜中の2時に飛び起き、妻に大声で叫ぶのです。「また絞め殺される夢を見た!」そしてすぐにとなりの部屋で寝ている赤ん坊が泣き叫ぶのです。彼の熱はあまりに急激に高くなるために意識を失ってしまうほどでした。病院に着くまでに子供は死んでしまうかもしれないと、何度も思いました。病院では医療スタッフが子供の命を救うために懸命な努力をしてくれました。

取りつかれる

これらの出来事は頻繁で、実際に病院は私たちをいつでも受け入れられるように、冷却用の装置を常に準備していたほどでした。医師は何が原因でこのようなことが起こるのか全く説明することができませんでした。ある日医師が言いました。「驚異だよ、あなたの子供はまだ1歳にもなっていないというのに、大人4人で押さえつけなければならなかった。子供は何かに取り付かれているに違いない」。
頑固な無神論者でさえようやく何かを考え始めました。何週間も、何ヶ月も同じ出来事が起こるということは、この二つの出来事がつながっている。病院で息子のベッドの傍らに座った私は、すべての出来事を振り返ってみました。医師が治療法がないと言っているということは、現代の医療では解決できないらしい。いったいこの問題を解決してくれるところをどうやって探せばいいというのだ? この出来事は恐ろしい夢と何の関係があるのだろうか? 義父が入り込んでしまったオカルトの影響なのだろうか?
ローマカトリック教会は、悪魔を超える力を持っているかもしれない、と思い立ちました。以前通っていた教会に戻って助けをお願いしてみようと決心しました。

次の日教会で、ブランデーの酒ビンを片手にした司祭を見つけました。それほど酔っていない様なので声をかけました。「私はローマ・カトリック教会の信者なのですが、今はもう教会に行っていません。」彼は私を見て答えました。「そう、それで何か問題ですか?」「私は科学者であり無神論者です」。どもりながら続けて言いました。「何て言ったらいいかわからないのですが、私の家でとても奇妙なことが起きているのです」。「ちょっと待ってくれ!」 彼は私を止めて言いました。「その問題には関わりたくないんだ、私の分野ではないんでね。名前と電話番号を教えてくれないか、だれかに折り返し連絡させるから」。
それからすぐに、上品で知的な感じのする他の司祭から電話を受け取り、彼の指示で修道院で会うことになりました。

感銘を受ける

私は約束の場に行くために急ぎました。彼を見たとたん、なんてすばらしい人だろうと思いました。とても優しそうな目で私を見ながら、「あなたは家庭で問題を抱えていますね。悪魔はあなたの息子を殺そうとしています。そしてあなたも脅かされているのです」。私は唖然としてポカンと口を開けていました。「私はこの事は誰にも話したことがないのに、なんでそんな事がわかるのですか?!」と思わず強い口調で尋ねました。「どうやって私が知ったかなんて何も気にすることはない。それよりもこの問題はとても深刻だから悪霊を追い払うためには一番高度な方法を使わなければ、つまりあなたの家でミサをしなければなりません」。彼は続けて言いました。「主教の許可なしに個人の家でミサを行うことは違法なんだが心配しなくても大丈夫です。私はすでに許可をもらってきていますから」。司祭は私の家でミサをするために必要な許可書を私に見せてくれました。それには主教のサインが書かれていました。どうしてこんなことができるんだ! 私は平静を装っていましたが、頭の中は混乱していました。今までだれにも家の問題を話したことがないのに、司祭はすべてを知り、その対処方法まで手配されているなんて!
「よくわかりました。どうぞ私の家においでくださり、何でも必要なことを行ってください」。そして私は続けて言いました。「お知らせしておきたいのですが、私は無神論者で、もう教会には何年も行っていません」。
司祭は言いました。「あなたは、もう無神論者ではいられなくなるはずです。奥さんはどうですか」。
「彼女はカトリック信者でさえありません。オランダ改革派です」。
「何も問題はありません」と彼は私に保証してくれました。

悪魔祓い

私たちが家に着くと、妻も私と同じように司祭の人柄に感銘を受けました。司祭は家の中を案内するように言いました。彼は子供の部屋の前で立ち止まり、「ここはあなたの家の中で最悪の部屋ですが、あなたの家中悪魔祓いをする必要があります。水を少し持ってきてくれませんか」と言いました。彼は水に、「聖なる塩」というものを加え、水の中に指を入れて十字を書きました。そして出来上がった「聖なる水」を持って家の中を歩き始めました。家中のすべてのドアと窓に、指で十字架のマークを付けて生きました。司祭は悪魔祓いの権威者であった聖人の遺品だという指輪を私に見せてくれました。彼がミサを始めると、何匹もいた私の家のペットが、一斉に勢いよく走ってきて私たちの足元に座りました。わあ、不気味だ、いったいこれから何が起こるんだ?

ミサが終わると、ルルド(フランスのカトリックの巡礼地)の魔よけのお守りを司祭から渡され、子供たちのベッドの上に掛けておくように言われました。最後に按手の十字架を外し、「これを赤ん坊のベッドの上に置いておきなさい。悪魔が小さな子供を殺してしまうのは耐え難い事だから」と言って帰りました。

私と妻はこれからどんな事が起こるのか、不安な気持ちで夜が来るのを待っていました。いつもは、子供を寝かせようとすると激しく泣くのですが、その晩はベッドに入れると何度か寝返りを打ち、そのうちに仰向けになって安らかな寝息を立てて眠ってしまいました。彼が一晩中眠り続けたのは、生まれて初めてのことでした。次の日も、次の週も、その次の週もです。そして私の悪夢もまったくなくなりました。

頑固な無神論者で、科学者でもある私は、この事実にどのような立場をとったらいいのでしょうか。これからどうすればいいのでしょうか。教会は私の家庭の大きな問題を解決してくれました。それでも「神などいない」と言い続けるのでしょうか。私はこの問題を解決してくれた神様に対して責任があるのでしょうか。私は妻と共にどうするべきかということを何ヶ月も悩み、考え続けていました。

ついに私は妻に言いました。「やっぱり選択の余地はないよ、教会に戻るよ」。そして教会に通い始めたものの、私はいつも自分に問い続けていました。本当に自分は神を信じているのだろうか?よくわからないなぁ。

ある大工との出会い

ある日急に思い立って、我が家の台所をリフォームすることにしました。そのためにドイツ人の大工を雇いました。彼が我が家に来た時に乗っていた車のバンパーに「親方はイエス様」と書いてあるステッカーが貼ってありました。詳細を話し合い、仕事の契約をした後に彼は言いました。「「ところで私は神と共に人生を歩んでいる者です」。私は怪訝な顔をして意地悪く言いました。「あなたはどうぞ神と一緒に生きてください。私はリフォームをして欲しいだけですから。それだけです!いいですね?!」
「そうします。でもこれをあなたに差し上げたいのです」と言って、一枚のパンフレットを手渡しました。私は一応受け取りましたが、読まずにすぐに引き出しの中に入れてしまいました。

私は忠実に毎週教会に通い続けていました。そこで以前から気になっていた進化論のことを司祭に尋ねてみました。彼は言いました。「我々が進化して今存在しているのは常識だよ」。すばらしい!と私は思いました。なぜなら進化論をこれまでどおり教えながら、神も信じることができるのです。それからはとても気が楽になってきました。

疑問

カテキズム(カトリック公教要理)を読むにつれ謎が生じてきました。なぜ神様は同じ儀式を何度も何度も要求されるのだろうか?毎週行われる聖体拝領の儀式にとても困惑し始めました。なぜ同じ祈り、同じ儀式を繰り返すのだろうか?聖変化(聖餐のパンとぶどう酒をキリストの肉と血に変化させるという儀式)の教義に戸惑い始めました。司祭がパンとぶどう酒をキリストの体に変える力など本当にあるのだろうか?

ある日、私は誰もいない教会堂に入り、後ろの座席に一人で座っていました。前方に見える箱に小さな赤いライトが点滅していました。それは聖体拝領のパンとぶどう酒が入っているというサインでした。この事実が突然を私を悩ませ始めなした。神様はこの箱の中に閉じ込められているのか?!

箱の中に神を閉じ込めているという思いは、私をとても苛々させ、さらに怒りの気持ちさえ沸いてきました。

でも神様は絶対ここにいる! 私はもがきました。私の家庭の変化を見ればわかるではないか、今は平和だ、妻はカトリックに改宗する決心までしている。私はすでに妻がカトリック教会に加われるように司祭に手続きをお願いしていましたが、何故か様々な理由で延期になっていました。

私はがんばって祈ってみました。「神様、どこにいらっしゃるのですか?私はあなたのことを全く知らないのです」。誰もいない教会の座席に座っていた私はついに言いました。「神様、あなたが本当にいらっしゃるのなら私にお示しください」。気持ちが落ち着いてから家路につきました。家にかえるや否や引き出しをかき回し、一年前にドイツ人の大工に手渡されたパンフレットを取り出しました。私は彼が言った「神と共に人生を歩んでいる」という言葉を思い出して心の中で笑いました。

戒め

パンフレットは三つの部分に分かれていて、一般の聖書、ルター訳、そしてカトリック訳の十戒が比較できるように並べられていました。神の戒めをローマ・カトリック教会がどのように変えているのか、そして聖句を用いながらどのように変えていったのかということが説明されていました。なんて下さらないことを書く人がいるのだろうと、思いました。

私の家にはたくさんのカテキズムがありましたので、一つを手にとって十戒の書かれている所を開いてみました。パンフレットに書かれているものと全く同じでした。私は妻を呼んで言いました。「聖書を持ってきてくれないか!」 彼女は言いました。「私たちの家には聖書なんてありませんよ」。こんなに長く教会に行っているのに一冊の聖書も家にないということに今更ながら驚きました。その時、知り合いの老婦人から、たくさん本の入った箱をもらって車庫に置いてあることを思い出しました。普通のおばあさんは、たいがい聖書を持っているはずだ、と妙な思い付きをしました。けれどもその通り、箱には聖書が入っていたのです。

出エジプト記20章を開きました。十戒はカテキズムに書かれているものと違っていました。これを見た私は困惑してしまいました。私はすぐに大工に電話をしました。「去年あなたに台所をリフォームしてもらった者ですが、覚えていますか?」「もちろんです。なぜかわからないのですが、今日一日あなたに電話をしようとずっと思っていたのです」。大工は私の家に来てくれることになりました。

彼が来た時、聖書とカテキズム両方の十戒の部分が開かれていました。私は彼が来るなりすぐに質問をしました。「なんでこんなふうに違うんだ?」

聖書研究

彼はダニエル書7章の予言の部分から説明を始めました。私たちはその日、夜中の3時頃まで聖書を研究しました。次の日、そして次の日も彼は来てくれました。3日間でダニエル書、黙示録の殆どをカバーしました。彼は王や国、そして異教の起こりなどの歴史的な出来事を教えてくれました。私は興味深い説明だ、でも彼の言葉を鵜呑みにはできない、と思いました。じっくり考えた末、自分自身で調べて解決しようと決めました。

大学の図書館に行き、歴史と神学の分野で私が見つけることのできたすべての資料を借りて来ました。大工が聖書から示してくれたバビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ、そして10に分かれたヨーロッパの国々が続くと言うことが真実であることがすぐにわかりました。私が歴史的に調べて、ダニエル書7章の小さな角が、ローマ・カトリック教会以外の何ものでもないと気付いた時は、本当に大きなショックを受けました。

この考えを確かにしたいために、小さい角がアンティコス・エピファネスであるとの視点からも調べました。けれども聖書の基準に全く当てはまらないのです。公平を期すために、教会の司祭に私の家に来て説明してもらえるようにお願いしました。

私と妻はダニエル書の預言の章を開き、言いました。「一つの大きな権力が起こり、神の戒めを変更することを企てると聖書は明白に述べています」。司祭は私たちを見ながら言いました。「私はこの問題についてあなたたちとお話しすることはできません。私は聖書に興味がないものですから」。私は絶句しました。あなたは司祭でありながら、聖書に興味がない?彼は続けて言いました。「教会に預言の専門家はいますよ、まあ私には意味がなくて理解できないことですがね」と言いながらさっさと帰ってしまいました。

私は他教会の牧師を次々と家に招きました。そして小さい角の聖句にくると決まって、「それはアンティコス・エピファネスです」と言うので、いつも対抗して次のように言わなければならないことになるのです。「牧師様、そうであるはずがないのです。なぜなら小さい角はローマの後に起こっています。ギリシャの時代ではありえません。」このディスカッションは始まると、いつの間にか牧師たちは立ち上がり、すぐに去ってしまうのです。その度に私は以前にも増して確信するのでした。小さな角の権威はローマ教会以外の何ものでもないと。

ジレンマ

これは私にとって大きなジレンマでした。聖書の預言にローマ・カトリック教会はキリストに反した働きをしていると書かれているのに、日曜日毎に教会に通い続けるべきなのだろうか?ところがさらに厄介なことを大工が言い出したのです。彼は安息日について話し始め、安息日に関してのすべての聖句を私に示しました。

「ばかげている! どうしてたった六日間で天地、海を創造したという神の戒めなんかを守ることができるんだ?科学の真実ではこの世に存在しているすべてのものは、何億年もかけて進化して出来たんだよ」。

大工は進化論ではなく、神がすべてのものを創造されたと微笑み言うのです。クラスでやり込めた女生徒の顔が浮かんできました。そして大工に向かって言いました。「6日間の創造論は全く馬鹿げたおかしな考えだ」。大工は言いました。「創造論が真実であることを証明するよ」。「結構なことだ、試してみるがいいよ」と私は言い返しました。

次の日、大工は両手で抱えられないほど山積みされた創造論に関しての本を私の所に持ってきました。大学での講義の合間に、彼の持ってきたすべての本に目を通しましたが、大工に本を返す時に言いました。「紙くず同様だ」。けれども彼は反論することなく、再度山積みの本を持ってきました。すべての本に目を通した私は、「全部非科学的で、人を混乱させるだけの内容だ。君は地球平面協会に属しているんだね」と皮肉たっぷりに言いました。

大工が、「神が創造者だ」と言う度に、私は科学の論法で彼の言い分を圧倒することが出来るのでした。私はすべての専門用語を知っている進化論者です。創造論を一掃できるような理論を証明できるように訓練されてきているのです。
私との会話にフラストレーションを募らせた哀れな大工は、とうとう言いました。「私は創造論に関しては何の疑問も問題もない。問題を持っているのはあなただ!自分で解決するがいい!」

個人探求

これがすべての始まりになりました。私はあなたが想像もできないような仕方で聖書を研究しました。それは聖書がたった2ヶ月でボロボロになり使えなくなるほどでした。妻は言いました。「安息日は私には何の意味もないし、あまりにもおかしな考えだわ」。
ある日、私の大学の部門の秘書から分厚い資料を手渡されました。講義の合間に目を通すと、安息日とセブンスデー・アドベンチストに反論する論文でした。驚きました。なぜなら私たちが安息日の問題で格闘しているということは誰も知らなかったからです。私の同僚は皆、進化論者です。私が宗教のことを考えているなどとは口が裂けても言えないような職場でした。
私は進化論のことで苦闘している最中だったので、この資料を妻に渡して言いました。「これに目を通してくれないか。何か解決策が見つかるかもしれないから」。私は創造論、そして妻は安息日のことでそれぞれ格闘する日が続きました。
ついに全ての資料を読み終わった妻が言いました。「私はこの資料によって、安息日が正しいということを確信してしまったわ。この声明の一つ一つに聖書の言葉を比較させたのよ。すると神の言葉が明瞭に教えていることに反論する人間の言葉はすべて消されてしまうの」。この安息日に反論する論文は、彼女にクリスチャンが守るべき日は安息日であることを証明してしまったのです。
「これは大問題だ」と妻に言いました。「この世界が少なくても6億年かけてできたというのはこの世の常識なのに、6日間の創造の記念日なんてとても守れないよ」。
安息日と創造論のことで悪戦苦闘の最中で、特に進化論に関しては全く答えのない状況でしたが、ついに次のように祈りました。「神様、わかりました。もしあなたが存在していて、進化論の考え方が間違いならば、私は信じ教えますから、どうぞ必ずお示しください」。

祈りの答え

私の大学で、南半球では最大級の進化論に関する蔵書を所有していましたので、すぐに図書館に行き、ある一冊の本を借りました。帰り際に同僚が私を呼び止め、言いました。「何でそんな本を借りるんだい、新版が出たばかりなのに」。そこで私は図書館に戻り、最新版も借りました。
私は二つの本を同時に1ページづつ比べながら読み進めました。旧版には、鯨類の進化に大きな問いがあると書かれていましたが、新版では、科学の専門用語をふんだんに取り入れた新しい理論を作り、問題点を撤廃しているのです。私は進化の過程について次々と調べ始めました。旧版はいつも解決できない問題があると書かれているのに、新版は決してそれを認めないで新しい理論が作られているのです。これは何か怪しいと思い始めました。私が図書館に行く度に奇跡のようなことが起こりました。正反対のことが書いてある二冊の本が、いつも隣同士になって本棚に置いてあるのです。
毎日毎日、昼も夜もこの問題を考え続けました。当時は遺伝学を教えていましたが、進化論が真実であるならば解決しなければならない問題点のリストを作り始めました。短い間に問題点のリストは驚く量になってしまい、大いに困惑しました。私はやっとここで、進化論にとてつもない問題があることに気付きました。

戻ってきた悪夢

私たちが学びを続けるに伴って、すでに幼児になっていた子供にまた問題が戻ってきました。ある夜、ちょうど夜中の2時に、絞め殺されそうになる、以前と全く同じ夢を見ました。私が驚いて起きると同時に隣の部屋で寝ている子供が泣き叫びました。やはり子供は高熱を出していました。この時は病院に行かなくて済みましたが、これはまりにも奇妙すぎると思いました。

私は大工に、この奇妙な出来事を話しました。彼は、「心配することはないよ、あなたの家族のために教会のみんなで祈るから」と言ってくれました。大工は、教会の人たちに目覚まし時計を夜中の2時にセットして、その時起きて、彼らの全く知らない私たちのために祈るように頼んでくれました。教会の人々の祈りによって、私たち家族にまた平和が戻ってきましたが、一度だけ一人の婦人が夜に起きて祈るのを止めたことがありました。その夜に限り私は同じ夢を見て、子供は泣き叫びました。

今振り返ってこの出来事を考えて気づいたことは、神様はその婦人の祈りを必要としていたわけではありませんが、私にはとても重要な教訓になりました。神様は、私たち神の民が一致して前進していくのを望んでいらっしゃるということです。次の夜、婦人はめざまし時計をかけ、夜起きて祈ってくれました。神様は私たちが一度も会ったことのない人々の祈りに答えてくださり、それ以来悪夢を見ることは全くなくなりました。そして子供も、私たちにとって小さな天使のようになったのです。

決心

「こんな中間地点でいつまでもうろうろしていることはできないよ」。とうとう私は妻に言いました。私は大学の教授と一緒にギリシャ語、ヘブル語、そして歴史的な観点から聖書を調べました。進化論が全く根拠のない理論であるという結論に達してしまいました。聖書の預言も詳しく調べ、他の教会の教義もすべて学びました。もう言い訳はなくなりました。そして私は家族に宣言しました。「これから我々家族は安息日を守り、セブンスデー・アドベンチスト教会に出席することにする」。

私の妻は初めてアドベンチストの人々を見た時に、彼らの持っている清楚な雰囲気に感動し、集会の最後まで溢れる涙を止めることができませんでした。ところが私ときたら、「なんでここの人たちはこんなにも変わっているんだ、奇妙なものは食べるし、やっぱり前の生活に戻りたい」と言いました。なんて不気味な教会だ。今までミサに出席するのにジーパンとTシャツだったのに、アドベンチストの男たちはネクタイにスーツを着るのか? 気持ち悪い! 何しろ私たちは、ビールを片手に冗談を言い合いながら騒ぐような社交を楽しんでいたからです。

聖霊は私の心の奥深い所にまで届いてくださいました。「あなたは安息日に礼拝をしているが、まだ進化論を教えているではないか」。私は心の中ではこの状況を変えなければならないことはわかっていました。そしてついに私は遺伝学において、進化論の考えは不可能であることを説明するための講義の準備を始めました。

2週間後、大学院生のための進化論のディスカッショングループの指導をするように依頼されました。こんなに早くこの時が来るとは思っていませんでしたので、私の心は恐れで一杯になりました。私はまだ進化論を信じている振りをしてディスカッションに臨もうか、それとも今信じている事に堅く立って同僚たちからの面子を失うのか。アドベンチスト教会の新しい友人たちに対する気味の悪さは少なくなっていました。そして彼らは私のために祈ってくれることを約束してくれました。

土壇場

私はすべての大学院生、スタッフと向かい合っていました。講義が始まり、私の今までの研究で発見したすべての問題点をひとつひとつ挙げて生きました。そして最後に結論として、はっきり次のように言いました。「それゆえに、進化論がありえない」。

部屋が静まり返りました。誰かの持っていたペンが落ちて、ポトンと音を立てると同時に、教室の中は大混乱になりました。一人の同僚が、かなきり声を上げながら攻撃してきました。そしてようやく混乱が収まりかけた時、優等生だった若い女性徒が立ち上がり、彼女の担当の教授に向かって言いました。「私がこの大学に来た時、私は神を信じ、神と共に歩む生活をしていました。とても幸福な人生でした。けれども今、私は何も信じていません。あなたは私の信仰を奪い、人生の全てが崩れ落ちました。今日の午後のヴァイツ博士の講義は、あなたが私を間違った道に導いてしまったことを証明しました」。

それからどのような事が起きたか想像できますか? 彼らは緊急の会議を開き、すべての科学の基礎は進化論にしなければならないという票決がなされました。この決定は私にとって終わりを意味しました。私の人生は科学的信憑性の立場からすると、全く無価値なものになりました。私は辞表を提出しました。上司は、「そんなに簡単に辞職するなんてできるわけがない、君は人気のある教師で、ほとんどの大学院生は、君の担当になっている。その生徒たちをどうするつもりなんだ」と挑戦的に言ってきました。

大学の総長から呼び出しがかかりました。おかしな話ですが、教会にジーパンとTシャツで行く私が、総長の面接に備えるために初めてスーツとネクタイを買いました。総長と私は長い間話し合いをし、そして最後に言われました。「もしあなたがこれ以上大学内で波風を立てずにいてくれたら、あなたを教授の地位にまで昇進させることができるのだがね」。この提案は私の心を激しく動揺させました。ああ、なんという誘惑。私は部署の中で一番若い教授になれる。

私は向き直って総長に言いました。「それはあまりにももったいないお話です。やはり私は教師職を去るべきです」。「それがあなたの決心ですか・・・。ところで、だれが真理を持っていると思いますか?」
「聖書に真理があると思います」と私は答えました。
「いや、違うんだ、誰が真理を持っているかという君の考えを知りたいんだ」。私は、彼の質問の意味がよくわかっていました。けれども自分の口からは決してその答えを言いたくありませんでした。言葉を濁らせながら曖昧な返事をし、話題が変わることを期待していました。

「それはヘルダーバーグカレッジ(南アフリカのアドベンチスト大学)にいる人たちでしょうか」。
「違う、それを聞いているんじゃない、どこの教会に真理があるかということを聞きたいんだ」。彼は3回同じ質問をしました。ああ、答えるしかないのか!
「セブンスデー・アドベンチスト教会に真理があると思います」。答えると同時に全身の力が抜け、死人のようになりました。私は彼から猛攻撃されることを覚悟していました。けれども彼はただ単に、「ありがとう、あなたの選択を尊重します。これからは事が順調にいくように願っています」と言っただけでした。

祝福

辞職をしたので、私たちは家を売ることにしました。一番最初に家を見に来た男性は私たちの家を気に入り、売買の契約はすぐに成立しました。彼は私たちが提示した価格に全く値切ることをしませんでした。そしてそのお金で酪農農場を買いました。
私たちは小麦を植え、それはとても背高く成長しました。その町のすべての農家の人々が私たちの小麦を見に来るほどでした。「あんたのような大学の教師は、我々の知らない何かを知っているに違いない」。
「それは違います。私たちはあなたたちと全く同じ方法で植えて育てているんですよ」とは言いましたが、心の中では、それは私たちが神様に従っているからで、クリスチャンになれば何もかもうまくいくのさ、とほくそえんでいました。

私たちはその地域で最高の農場にしたいと思いましたので、家を売ったお金の他に、私の父からの遺産と、私たちすべてのお金をつぎ込み、足りない分は銀行から借りました。

大惨事

ところがある日、大量の鳥の群れがやって来ました。この鳥たちは、周りの農家の短い小麦畑には目もくれず、一番成長していた私たちの小麦畑を彼らの棲みかにし始め、すべての実を食い尽くしてしまいました。私たちの最大の収入源であった小麦は、またたく間に消え失せました。

経済制裁に続き、南アフリカの経済は崩壊しました。当時3~4%であった利子は最高28%まで跳ね上がりました。私たちはローンの返済に何の支障もありませんでしたが、跳ね上がった利子により借金は悪夢へと変わっていきました。私は神様に向かって泣きながら訴えました。「神様、どうしてこのようなことができるのですか。鳥は小麦を食べ尽くし、私の科学者としての地位も肩書きも失くし、仕事に戻れません。家族を養うこともできなくなりました。もう終わりです!」

事態は更に悪化しました。私たちの車2台が大きな事故に巻き込まれ、廃車同然の状態になってしまいました。今、私が持っているものは価値のなくなったこの農場と、膨れ上がった借金だけです。私の妻はひどく落ち込みました。私たち家族はそれぞれ自分自身に問い続けました。私たちは正しいことをしてきただろうか?これが神様を愛する者たちに対する神様の関わり方なのだろうか?私たちは何度もこの事について話し合いました。

申し出

以前私たちがとても良い印象を持っていた司祭から突然電話がありました。この時は本当に苦しい時間でした。「よく私の家の電話番号がわかりましたね。ところで何か用ですか」。彼は言いました。「亡くなったあなたのお父さんが、今煉獄で相当苦しんでいるようですよ」。「なぜそんなことがわかるのです?」 私はその時にはすでに聖書から死後の状態のこと、復活の時までは死人は墓の中で眠っているということを学んでいました。「修道院から一度も外の世界に出たことのない修道女が教えてくれたんだが、あなたの父親はあなたが原因で苦しんでいる。とにかく教会に行ってミサをするべきだ。そうすれば父親の煉獄の苦しみはなくなるだろう」。私はこの司祭がとても誠実な人であることを知っていましたが、気の毒なことに彼は完全に欺かれているのです。そこで私は丁寧にお礼を言って電話を切り、心の中で言いました。残念だが悪魔よ、もう遅すぎるよ。

司祭が私の家でミサを行い、子供の状態が良くなったのは、サタンの計略でした。サタンは仲間に少し引き下がっているように指示し、子供を普通の状態にしておいたのです。これは罠で、私たちはカトリック教会に戻りました。今度は聖書の勉強を始めた時、また息子の問題が戻ってきました。けれどもその後、私たちが心からイエス様に従って行こうと決心した時、息子はとても優しい、以前には想像することができなかったくらい霊的で、天使のような存在になったのです。

神様は、私たちを真理の道へと一歩一歩導いてくださいましたが、まだ私たちが理解していないことがありました。「もう一文無しになって、この農場を失う瀬戸際まで来てしまった。大学の仲間からはのけ者にされ、学界では物笑いの種になって、前の仕事に戻る可能性は全くなくなってしまった。食料も尽きたのに買うお金も無い!」 私たち家族全員でひざまづき、聖書の中にあるすべての約束を神様に申し上げました。

約束

私は祈りました。「神様、あなたは私たちの必要を満たしてくださると約束してくださいました。そして正しい人は、道端で物乞いをすることはないとも約束してくださいました」。私たちは聖書の中のすべての約束を紙に書き出しました。そして私は続けて祈りました。「神様、これらの約束は私たちのものであると信じています。どうぞ私たちを食物とお金のないままで放っておかないでください。あなたの御心が行われますように」。
私たち家族の命は神様の御手の中にあると確信したので、その夜はとてもよく眠ることができました。次の朝早く、他の大学からの緊急の電話が鳴りました。「実は一人の教授が突然一年間仕事を離れなければならない状況になった。彼の代わりにクラスを教えてはくれないだろうか?」
「実は今創造論を信じているので、もう進化論は教えられないんです」。
「そんなこと誰がかまうものか。ただ科学の分野だけ教えてもらえればいい。今窮地に陥っていて、どうしても代わりの者がいないとだめなんだ。来てくれるだろうか?」
「もちろん、授業はいつから始まるんですか?」
「いろいろな会議の決議が必要だろうから約3ヶ月後くらいかなぁ」。
「ありがとうございました」と電話を切りました。
神様、お心にとめてくださりありがとうございました。でも3ヵ月後には、私も家族も餓死しているでしょう。
20分後にまた電話が鳴りました。同じ教授からでした。
「あれから総長の所に行って話したんだが、彼は会議をしている余裕なんか無い。今許可書にサインするから彼に明日にでも来るように言っておいてくれと言われて」。
「ではいつから始めたらいいでしょうか」。
「月曜日」と彼は言いました。その日は木曜日でした。

解決

何てことだ。この週末だけで解決しなければならない問題が山ほどあって不可能だ! 私は妻に言いました。「ウエスタンケープ大学で仕事を始められるようになった。一年間だけど、その後はどうにかなるさ」。「すばらしいわ! だけど・・・この農場、そしてたくさんの牛たちは誰が面倒を見てくれるの?」「それを今考えていたところなんだ。だけど神様は一つの解決をくださったんだから、この問題の解決もしてくださるよ」。私たちはひざまづいて祈りました。
「神様、あなたもご存知のように、私たちは無一文になりました。この農場を管理してくれる人を雇うお金がありません。どうぞ私たちに解決方法をお示しください」。
祈りが終わるか終わらないかという時です。だれかがドアを強くノックしました。そこにはジンバブエから来たという若い夫婦が立っていました。私は彼らを招きいれ、熱心に話を聴きました。
「私たちはセブンスデー・アドベンチストです。そして安息日に仕事をしないという理由で農場の仕事を失いました。今、住むところを探しているのです」。
「ここに住んでこの農場の仕事をしてみますか、でも私たちは賃金を払えませんが」。
「もちろんです。私たちは住むところさえあればいいのです」。
「牛たちの世話をしていただきたいのです。ミルクでも作物でも何でも売れるものがあったら、それはあなたたちのものにしてください」。
彼らは同意してくれました。私はローンの利子を給料から払えると思いました。
神様は奇跡に次ぐ奇跡をもって私たちのすべての必要を満たしてくださいました。誰かのノックで外に出ると、そこにはバスケットに一杯の食べ物が度々置かれていました。給料が入る時まで、私たちの車の中にいつも一定額の生活に必要な現金が置かれていました。それは学校に行く車の中でいつも娘が見つけました。また、家賃を月末に支払う借家を見つけたので、住む所の心配もありませんでした。

私が大学で教え始めて間もない頃、私の話を知った一人のアドベンチストの人が電話をしてきました。「ローマリンダの地球科学研究所で、ドクター・アリエル・ロス率いる聖書科学ツアーに是非同行していただきたいと思いまして。洪水や、創造の聖書的見地、証拠を見てあなたの信仰を更に確かにできる機会になればと思い、電話をしました」。
「それは不可能なことです。今この仕事は始まったばかりで、6週間の休暇などお願いできるわけがありません」。ありえないことだ! ところが、その後すぐにこの大学で暴動が起き、大混乱に陥ってしまいました。大学の総長は、学校を閉鎖する命令を出しました。
私は部署の上司にこれからどうすればよいのか尋ねました。彼は私を見て言いました。「月でもどこでも行ったらいい。とにかくここから離れて、6週間は絶対に戻ってこないように!」パーフェクトなタイミングでした。私は地球科学ツアーに参加し、これからなお創造論の講義に必要な多くの情報を得ることができました。

大学に戻ると、何人もの教授が暴動の犠牲となって亡くなっていました。私たちはその埋め合わせのために懸命に働きました。ある時、重要な地位の候補に、ケンブリッジ大学の教授と私の名が挙げられました。
これは後で聞いた話ですが、最終的にどちらか一人を選ぶ選考委員会で、ある人が言いました。「ドクター・ヴァイツを選ぶわけにはいきません。また大変な騒ぎを起こすことになります。それに彼は奇妙な考えを持っています」。けれど当時は学生暴動の起こった直後だったので、組織に逆らうことが流行のようになっていたのです。他の教授が言いました。「ということは、彼はステレンボッシュ大学で教えている時に反逆を起こしたということか。それは気に入った!」この一言で私が選ばれました。

神の業

このようにして、神様は私の今の仕事に就けてくださいました。私は一般大学の動物学部門の主任教授として働いています。私はここで創造論を教えています。人間的に考えてこれは不可能なことです。けれども神様が私をここに置いてくださいました。そして神様が望まれる間はここで働くことでしょう。扉が閉められる時が来るならば、私にとってさらに良い所にまた導いてくださることでしょう。
この宇宙を創られた神様は、どのようにして人生を歩むべきかを教えてくださいました。イエス様は十字架上で私の罪のために死んでくださいました。そしてまたお戻りになって、私の天国にある本当の家に連れて行ってくださいます。聖霊は、私たち家族を一歩一歩真理に導いてくださいました。神様はあなたもそのように導きたいと思っていらっしゃいます。正しいことは、それが正しいがゆえに選び、結果はどうぞ神様に委ねてください。そうする時、神様があなたに持っていらっしゃるすべてのご計画を成就してくださいます。