11.講師の証~ただ聖書に教えられる

10.自己義認
12.ラオデキヤ教会へのメッセージ

コラム 「放蕩息子のたとえから学ぶ救済の計画と信仰による義」  フランク・フォニエ氏の講演より

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神様の祝福をお祈りしましょう。天のお父様、わたしたちが楽しんでいるすべての祝福を感謝します。今夕はわたしの個人的な証をいたします。あなたに栄光を帰すことができますようにお願いします。霊による感動をお与えください。感謝してイエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。

これまで通訳してくださった方に感謝します。また今日の通訳をしてくださる方に感謝します。そして証をしてくださった方に感謝します。とてもすばらしいものだと思いました。神様はすばらしいことをなさいます。皆さんの人生の中にも神様はすばらしいことをなさるでしょう。これまでもすでにそうしてくださったと思います。皆さんの証も全部聞けたらよいのにと思います。しかしもし、神様はわたしの人生にそれほどのことをしてはくれなかったと感じるならば、神様に大きなことをしてもらわないとたいへん困るような立場に身をおいてください。たぶんあなたは自分のことを守りすぎてきたのかもしれません。神様のためにリスクをあまり負わなかったからかもしれません。わたしの人生において神様がどんなことをしてくださったかお話いたしましょう。

わたしはカナダの北部で育ちました。カトリックの家庭で育ちました。わたしの家には子供が8人いました。わたしの父母は互いに愛し合っていました。とてもいい家庭でした。わたしは16才で学校をやめました。そしてきこりの仕事につきました。18歳で鉱山での働きに行きました。そして20歳で結婚しました。妻が13歳の時に出会い、結婚したとき彼女は18歳でした。わたしたちはまだ結婚しています。

20歳になってまもなく、わたしは聖書を読みたくなりました。妻は農場育ちでした。彼女の家庭には6人の子供がいました。みんなが結婚すると、それぞれが自分の家を持ち、また牛を飼っていました。秋には義理の兄弟とわたしが、それぞれの家庭のために子牛を一頭づつ屠殺しました。その義理の兄弟は聖書を読んだことがある人だということをわたしは知っていました。年に一度の牛を屠殺する時期になると3週間の週末をわたしたちは一緒に働きました。そこでその3週の週末ごとに、わたしは聖書について自分がもっていた質問を全部彼に尋ねました。わたしは世の終わりについて、預言について興味がありました。彼はできる限りわたしの質問に答えてくれました。その週末が終わったとき、わたしは聖書を読むと自分に約束しました。

わたしは鉱山で毎日8時間働いていました。夜帰宅すると毎晩2時間半重量挙げをしていました。そういうスケジュールだったので聖書を読む時間をとりませんでした。1年たち、2年たち、3年たって、ある日、鉱山の中で働いていて、いつもより早くあがってきて、シャワーを浴び、帰宅するために車に乗りました。町の中を通って行きました。2キロくらい先を車がカーブを曲がって来るのを見ました。その車は道の縁に当たってコントロールを失ってしまいました。あれ、この人事故を起こすぞと思いました。でも、コントロールを取り戻しました。ところがまた道の縁にぶつかりました。そしてまたコントロールを失いました。そしてわたしの車に衝突しました。その人は死んでしまいました。わたしも怪我をしましたが、それほどものではありませんでした。足の怪我でした。そこで重量挙げはできなくなりました。なるほど、これは神様だ、さあ、聖書を読もう、今は毎晩2時間半という時間がある。そこでわたしは聖書を読み始めました。前にお話したように、わたしは決心する前に聖書を始めから終わりまで全部読むつもりでした。しかしみ言葉には力があります。2週間たったころには、これは神様の言葉に違いないと確信していました。しかし昨日言ったように、自分はまだ25歳だから、また後で神様に呼ばれたら行こうかなと考えましたが、わたしは心を神様にささげました。

さてそこで問題は、真の教会はどんな教会でしょうか。わたしはひざまづいて神様にあることを言いました、「わたしはどんな人にも頼りません。わたしはカトリックの司祭に相談しようとは思いません。なぜなら彼は、自分たちが真理を持っていると言うでしょうから。エホバの証人のところにも行きません。彼は自分たちが真理を持っていると言うでしょう。バプテスト教会に行っても、あの教会に行っても、どの教会に行ってもみな同じことを言うでしょう。そしてわたしにはだれが本当のことを言っているのか見分ける知性はありません。ですからわたしは自分が聖書を読んでいるということをだれにも話さないことにします。もし神様、わたしに何かしてほしいことがあるなら、直接聖書を通してわたしに教えてください」。わたしは、今日、世界の人すべてがこうすればいいのにと思います。神様はだれでも一人一人に、個人的に、喜んで教えてくださることを知っておられますか。けれども人々はそうしません。彼らは、この人と学び、あの人と学び、そして一番気に入ったものを選びます。でもたいていの場合、彼らは間違った選びをします。あるいは、おじいさんはこの教会だったからそれで十分だ、またはお父さんにとってよかったのだから自分にもいいだろう。あるいはまた、どの宗教も何かいいものを持っているから、どんな宗教でも完璧なのはない。しかし神様と直接論じずに、自分の知性に頼ってどうすればいいかを決めます。「でも、わたしはそうすることを拒みます。わたしは聖書を読みます」と言いました。

そこで神様はわたしに何を教えてくださったでしょうか。安息日のことでした。まず第一にわかったことは、第7日が安息日、これが神様を礼拝する正しい日だということがはっきりしました。第一にこれがわかりました。問題は、そうです、わたしは鉱山で働いていました。1万5千人の従業員がいます。わたしはどうしたらよいかわかりませんでした。わたしの妻は強い女性です。わたしが聖書を勉強し始めた時、彼女は「気をつけなさいよ」と言いました。「これがどこに導いていくかわからないでしょう」。彼女は何度も何度も「気をつけなさいよ」と言いました。そこで、わたしは安息日を見つけたのでした。困ったことになりました。わたしは働きから戻り、テーブルのところに座っていました。彼女は夕食準備をしていました。そして頭を抱えて座っているわたしに、「どうしたの」と尋ねました。わたしは、「聖書を勉強してきたが、わたしの理解が正しければ、礼拝の日は日曜日ではなく、土曜日みたいなんだよ。どうしたらいいかわからない」と言いました。彼女は、「あら、そう書いてあるのなら、そうしなければならないでしょう」と言いました。わたしは、それほどびっくりしたことはありませんでした。その瞬間から、わたしと彼女は一緒にやってきました。

次に鉱山に行った時、わたしは従業員の面倒をみる責任者のところに行きました。そして、「わたしたちには問題があります。わたしは聖書を勉強しているのですが、聖書は日曜日ではなく土曜日が礼拝の日だと言っております。そして聖書は礼拝の日は金曜日の日没から始まると言っています。ですから、今後はわたしは金曜日の午後の仕事はしません」と

言いました。その人は、「わたしたちに問題があると君は言うが、それは君の問題だ」と言いました。わたしは、「わたしは許可を求めてはおりません。わたしがどうするのかをお話しているのです」と言いました。彼は「仕事に行きなさい。今夜仕事を終えて、あがってきたら部長のところに行きなさい」と言いました。そこでわたしは一日働きながら、神様にずっと祈っていました。夜仕事を終えてあがってきて、部長に会いに行きました。それは真夜中でした。その事務所は暗く、彼は何か仕事をしていました。わたしがその部屋に入っていくと、彼は帽子を上げて、わたしの顔を見、「何がどうなっているのかわからないが、このことを最終的な部署まで持っていったんだが、彼らが言うには、あなたの好きなとおりにさせなさいということだ。君はわかっているか、1万5千人の従業員の中で好きなように出入りできる人は、君しかいないというのを?」と言いました。そして、「広めないでくださいよ」と。しかしそれを広めないわけにはいきませんでした。なぜなら金曜日のたびに、わたしは弁当のかごを持って歩き出すと、みんなが「あれどこに行くの」と、もちろん尋ねますから、わたしは「聖書を読んでいて、安息日がこうで・・・・」と説明しないといけません。神様は本当によいお方です。

そこでわたしは聖書の勉強を続けました。次に見つけたのは、死の状態についてでした。人は死んだら天国に行くのではなく、地獄にいくのではなく、ただお墓に行くだけ。それでわたしは義理の兄弟のところに行き、「聖書にこう書いているの見つけたんだけど」と言うと、彼は「そんなことないよ」と言いました。そこで彼は説明するために、ある伝道者の本を取り寄せてわたしにくれました。わたしはそれを全部読みました。それは聖書の言葉でいっぱいでした。でもわたしは、「これは違う」と言いました。どうしてわたしは、これは違うとわかったのでしょうか。彼は聖書を使っていました、論理的に書いてありました。しかし神の霊は「これはちがう」と言いました。それでわたしは聖書の勉強を続けました。

そしてマラキ書にきました。「十分の一をわたしに返し、どれだけ祝福するか試してみなさい」。わたしは思いました、「これはいいね」。神様が約束したからどれだけ祝福されるかみてみよう。ところで、什一をどこに返せばいいかわかりませんでした。どこの教会にも行っていませんでしたら。そこで給料をもらうと、貧しい人たちに配っていました。ある日、車に乗って安息日に町に行きました。当時は安息日の守り方を知りませんでしたので。その什一の分のお金を持って行きました。そしてそのお金を与えるために貧しい人を探していました。あちこち運転して回っていました。カナダの町にはそんなに貧乏な人は見当たりませんでした。わたしはがっかりしました。そこであきらめて家に帰ろうと町を出ました。そしてセブンイレブンみたいな小さな店に立ち寄りました。そこのカウンターのところに行くと、わたしの前に80歳くらいのおじいさんがいて、カウンターの女の子に「このクッキーを見てごらん、これわたしのためにとっていてくれないかい?あと2週間で年金が下りるから、そしたら買いに来るから」と言っていました。それで彼は出て行きました。わたしはバナナを買ってお金を払って、車に乗り、バナナを食べながら運転していきました。わたしは安息日の守り方しりませんでしたから。2、3マイル走ったところで、考えました、あの老人お金がなかったんだ、わたしは馬鹿だな。それで 車の向きを変えてその老人を探しました。そして彼を見かけました。彼は何か落ちていないかなと探していました。わたしは彼のところを通り過ぎて、車を止め、バナナを食べながら彼が近づくのを待っていました。彼が来たのでわたしは彼を引き止めました。「ここに18ドルあります。神様があなたにこれを上げるようにと言われました」と言いました。彼はそのお金を受け取って、9ドルと9ドルに分けて、「半分ずつにしよう」と言いました。そこでわたしは彼がとにかく酔っ払いのおじさんでないことがわかりました。わたしは、「いえいえ、神様があなたに18ドル全部あげなさいと言われました。あなたは神様を信じていますか」。彼は、「ああ、知っている。今夜ミサに行こうと計画している」と言いました。

わたしは聖書の勉強を続けました。このころまでには勉強を始めてからかなりたっていました。まだわたしたちには教会がありませんでした。わたしたちだけで安息日を守っていました。ある日曜日テレビをつけました。何か宗教的な番組を見たいと思いました。テレビをつけたら、そこにアドベンチストの預言の声のスピーカーが出ていました。わたしはアドベンチストのことは知りませんでした。どこかで前に彼が話しているのを聞いたことがありましたが、あまり気に入りませんでした。なぜならとてもやさしい雰囲気で話す人で、女性っぽくてあまり気に入らなかったのです。そこで立ち上がってチャンネルを変えようとしました。ところがテレビのところまで行かないうちに、彼が「現代の預言者がいます」と言いました。わたしは「何だって?」と思いました。「現代の預言者?」なぜ聖書を読みたかったかというと、もっと自分の人生を単純にシンプルにしたいと思ったからです。わたしの父方の家族は14人きょうだい、母方は12人きょうだいです。たくさんのおじさん、おばさん、いとこがいます。大勢がアルコール中毒です。色んな失敗をしている人たちが大勢いました。わたしもそのようになるのを恐れていました。わたしが聖書を読みたかった理由は、人生の決断をするのに指示がほしかったのです。そこへ、「現代の預言者がいるなら、現代の事柄を扱っており、もっと現代的な指示をもらえるのではないか」と思って、すごく興味がわきました。そこでわたしはその伝道者の言うことをもっと聞くことにしました。彼は、エレン・ホワイトについてずっと話をし、健康に関する預言とか、それが科学的に証明されているとかそういう話をしました。すばらしいと思いました。しかし彼は話を終わる前に、彼女の本は全部ワシントンD.C.のあるところに保管されていますと言いました。ああ、それはたいへんなことだ。すべてがローマにある、わたしはカトリックで育ったので、ファティマの3人の子供に神様が幻を見せた、その子供の一人に特別の封されて手紙が渡された。1960年にその手紙が開かれる、そこに終わりのことが告げられていると。1960年が来たけれども、そういうことはなかった。手紙を開いたと言われているけれども、誰にも何も発表されていません。そういう経験があったので、わたしはそれみたいなものかと考えました。預言者がいる、彼女はいろいろなことに関して本を書いた、けれどもそれは全部ワシントンD.C.のどこかに置かれているだけだと思いました。何の意味があるのか、しかし、番組の終わりに、この人の書いたキリストへの道という本が欲しければ差し上げますよと言いました。そこでわたしはキリストへの道を頼みました。その本がやっと届いたころには、わたしはすでにアドベンチストになっていましたが。応答があまりにも遅かったです。その牧師の話を聞きましたが、その人がアドベンチストだということは知りませんでした。アドベンチスト教会も知りませんでした。

そしてわたしは聖書の勉強をし続けました。とうとう神様に尋ねました、「この地球上にあなたの家族はいないのですか。この世のどこかに真の教会ってないのですか。安息日を守っている人はだれもいないのですか」。わたしは安息日を守るワールドワイドチャーチオブゴッドというのがあるのは知っていました。そこでその教会を訪問してみることに決めました。そして3週間続けてみんなで衣服を整えて、教会を探しに行きました。でもどこにも見当たりません。さて、どのようにすれば見つかるのかわかりました。新聞を見ると町にあるすべての教会と住所が載っていることがわかったのです。ところがそれを見て行こうとした週に、その新聞がストライキを起こして、行けませんでした。前の週の見ればいいと思ったのですが、どこを探しても出てきません。そしてとうとう義理の兄弟が、「セブンスデーアドベンチストという教会があるね。彼らも安息日を守っているよ」と言いました。「わたしはそんな名前気にいらないな」とわたしは言いました。そしてまた何週間か過ぎていきました。教会は見つかりません。

とうとうわたしは、「セブンスデーアドベンチスト教会を訪問してみよう」と言いました。それでみんなで衣服を整えて、教会へ行きました。しかし遅すぎました。時間に遅れたのです。その時もう終わっていたわけです。看板に時間が書いてあったので、次の週は間に合うように行くことにしました。しかし、時間に遅れて行ったのは神様の摂理がありました。もしその週に行ったなら、二度とセブンスデーアドベンチストの教会には行かなかったでしょう。なぜかを言いましょう。次の週、みんな衣服を整えて時間通りにその教会に行きました。わたしはカトリック教会で育ちました。そこで講壇に立つのは神父たちです。アドベンチストの教会に入ると、そこに小さな老婦人がいました。背中を曲げた姿勢で、とてもつまらない話をしました。彼女は安息日学校の校長でした。わたしはこれが牧師だと思いました。そこにわたしたちは座っていて、これはひどいと思いました。それで妻に「休憩になったら帰るべきだな」と言いました。それで安息日教課研究が終わるのを待ちました。休憩になると、わたしたちは全員立ち上がって、玄関に向かいました。しかし、ドアのところに行く前に、ドアが開いて、二人の黒人男性がきちんとした身なりで入って来ました。彼らは重要人物であるように見受けられました。そこでわたしは妻に、「座ろう」と言いました。「これから本番が始まるようだ」。

さて、この二人の黒人はカリブ諸島の教会の役職にある人たちでした。アンドリウス大学の学生です。彼らは学費を得るため文書伝道をしにここに来たばかりでした。そのうちの一人が説教をしました。わたしの人生の中でそのような説教を聴いたことがありませんでした。その日以来、わたしはセブンスデーアドベンチスト以外の教会には行っていません。それが安息日のことでした。その3日前の水曜日のことですが、わたしの義理の姉妹が歯科医院の待合室にいますと、子供向けのアドベンチストの聖書物語を見つけました。そしてこういう本を手に入れたいものだと思いました。するとこの二人の男性がそこに入ってきました。彼らはそれらの本のことで来たのです。彼女はこの本買いたいと言いました。それで彼らはあなたの家に今度の日曜日訪問しましょうと約束しました。そうわけでの、その水曜日に義理の姉妹が彼らに会っていたのです。そしてわたしはこの土曜日に彼らに会ったわけです。そして次の日、彼らは約束どおりに義理の姉妹の家に現れました。彼らが来た時、彼女は家の外でペンキ塗りをしていました。彼女は彼らに謝って、「日曜日なのにペンキ塗りなどしていて悪く思うでしょうが、わたしたちは日曜日の代わりに土曜日を守っているから」と説明しました。もちろん彼らはそれを聞いて興味をもちました。彼女は彼らの本を全部買いました。そして彼女は言いました、「わたしの姉がここから5マイル先の丘に上に住んでいるから、そこにも行ってみたらいい」と。そこで彼らは日曜日の午後わたしの家にやってきました。

わたしたちはすでに出会っていました。そのうちの一人がわたしの家に4ヶ月間滞在しました。神様が彼らをつかわしてくださったのです。彼はすべてのことを教えてくれました。パンの作り方さえ教えてくれました。正しい服装のこと、正しい食べ方のことを教えてくれました。エレン・ホワイトのことを教えてくれました。エレン・ホワイトという婦人の話を聞きました。この人があの時話された現代の預言者、あぁ、この教会のことだったのですね。神が導いてくださって、と思いました。

わたしが何をしたかご存知ですか?わたしはSDAの書店に行って、エレン・ホワイトと書かれている本は片っ端から買い求めました。そしてすべての本を読み、またあるものは何度も繰り返して読みました。世界でこれ程素晴らしい宝を見つけたことはありませんでした。考えてみてください。わたしは神様にわたしを導いてください、と祈りました。神様は安息日と死の状態について、什一献金、預言の霊について教えてくださり、教会に導いてくださいました。教会に行ってみたら、神様がわたしに直接教えてくださったこと、同じ教えがその教会にありました。わたしがどの教会が真の教会か迷ったと思いますか。わたしが神様に導かれてきたとわからなかったと思いますか。わたしはすべての人がわたしと同じようになさることを心から願ってやみません。ただ聖書を読んでください。そしてただ神様がしなさい、とおっしゃることをしてください。もし世界中の人がこのようにすれば、わたしたちは一つの教会になるでしょう。イエス様は将来、一つの群れ、一人の羊飼いになるとおっしゃいました。そしてそのようになるでしょう。なるのです。

わたしはお話したい幾千もの話があります。アドベンチストになってから奇跡が起きなかった事はありません。でももう遅いのでここで終わりたいと思います。明日話が出来るかもしれません。

お祈りいたしましょう。天の神様、わたしたちの神様でいてくださり、ありがとうございます。神様自ら喜んでわたしたちを個人的に扱ってくださって感謝いたします。この世に神様の家族を持っていてくださることを感謝いたします。わたしたちがもっと忠実であるようにお助けください。イエス様のお名前を通してお祈りいたします。

10.自己義認
12.ラオデキヤ教会へのメッセージ