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1.わたしたちのもつべき信仰

2.ふたりの息子

コラム 「放蕩息子のたとえから学ぶ救済の計画と信仰による義」  フランク・フォニエ氏の講演より

faith

こんばんわ。日本に来ることができて、本当に喜んでおります。それよりもうれしいことは、みなさんがここにいらっしゃるということです。みなさんが祝福を受けることを願っています。聖書をお持ちになっていると思いますが、みなさんのために準備させていただいたことをお話しします。これは決して深遠な神学といったものではありません。もっと心と心の通い合いということにわたしは深い関心をもっています。4日間の間わたしたちはご一緒するわけですけれども、ほとんどの時間を放蕩息子のたとえ話に費やしたいと思っております。なぜなら福音というものがそこに最も単純な方法で、示されているからです。福音と魂の救いということ以上に、重要なテーマはないからです。

ところで今夜は、まだ放蕩息子のたとえの学びには入りません。もっとも基本的な話をしてみたいと思います。できればわたしたちの信仰が高められていくようなそのような話をしたいのです。聖書は、あなたの信じたとおりになるようにと言っていますから、それは本当に大切なことだと思います。

マタイ8章から始めましょう。みなさんがよく知っている物語です。よく知っていると思いますが、いかに深い意味がこの物語に込められていることでしょう。5節を読みましょう。「さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った」。そこで、皆さんに質問します。百卒長というのはどういう人のことですか?ローマの軍人ですね。軍人の中でも軟弱な人ですか、剛毅な人ですか?この人は単なる軍人ではありません。この人は百人の兵卒を率いる長です。ですから、彼の人間性は剛毅なものだったことでしょう。そのことを理解するのは重要です。この人は、異邦人、ローマ人、軍人の長です。この人がイエス様のところに一つの訴えをもって近づいてきました。6節、「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家で寝ています」。

イエス様の返事に注意してください。イエス様は、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われました。百卒長の訴えとイエス様の答えとの間にどのくらいの時間の開きがあったでしょうか。すぐにイエス様は返事をなさいました。これが大事なところです。もしイエス様が異邦人のローマ軍人にすぐにお答えになったとすれば、あなたに返事をなさるのにどのくらい時間をおくでしょうか?ここにだれか異邦人がおられますか。だれか軍人がおられますか?ものすごく強い人がいますか?みなさんは、やさしい方たちです。イエス様は、あなたの訴えにすぐ答えてくださいます。わたしたちは信じなければなりません。イエスは同じ思いやりを皆さんに対して、またわたしに対してもっていてくださるのだということを。ある方は、自分の祈りにそんなに早く答えてくださらないという方がいるかもしれません。そんなに早く答えてくださるかどうかわからないという方がいるかもしれません。ですが、それはほんとうではありません。わたしたちの祈りにも、そのようにすぐに答えてくださいます。しかし、時にはその答が「待ちなさい」である場合もあるかもしれません。最善のことではないという答であるかもしれません。けれども、イエス様はそこにおいでになって、答えようと待っておられるのです。

百卒長は8節でこのように言いました。「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただお言葉をください。そうすれば僕はなおります」。この軍人は、彼があることを理解しているということを、ここで表しています。わたしは彼の思っていることに驚くのです。彼は、イエスが神であることを知っていたのです。多くの人々はそのことを知らないかったのに。イエス様は、ご自分の民であるユダヤ人のところにやってこられました。しかし彼らは、イエス様が神であることがわかりませんでした。救い主であることも認めませんでした。しかしこの異邦人の兵士は、イエス様のところにやってきて、この方は神であると知っていると言ったのです。

そして彼がイエスは神だと知っているということを次のように例証しました。9節、彼は、「わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりに『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。彼は、「わたしが語ると、そこには権威がある」と言っているわけです。そして彼は、「わたしはあなたが持っておられる力を知っています、あなたはわたしの家にまでおいでになる必要はありません。ただ、僕がなおるとおっしゃってくだされば、それで十分です」と言いました。彼は、神様だけがそのようなことがおできになると知っていたのです。本当に驚くべきことです。

本当に驚くべきことにイエスがこの答えにびっくりなさったのです。イエス様を驚かすというのはやさしいことではありません。どのようにして、皆さんは神様を驚かすことができるでしょう。できるものではありませんね。けれども10節を見ますと、英語ではイエスが本当にびっくりなさったと書いてあります。「イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた。『よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない』」。この句の中でイスラエル人とはだれですか?これは神の選びの民です、真の教会です。イエス様はご自分の民のところに来られたのです。そして彼らを皆ご覧になりました。しかしイエス様はこの異邦人の兵士の中に真の信仰を見られたのでした。イエス様にとって、これはがっかりすることではなかったでしょうか。そう思いませんか?

もし、今日ここにイエス様がおいでになったとしたら。もし、今日あなたの教会においでになったとしたら、彼はこのような信仰をそこにごらんになるでしょうか?そうあってほしいものです。けれども、そうではないと思われます。皆さんの教会ということではありませんが。あなた自身はどうでしょうか。すべての御言葉には創造の力があるということを信じているでしょうか。聖書の中のすべての約束は自分にとって真実だと信じていらっしゃいますか?すべてのいましめに従うべきだということを信じておられますか?これは本当なのです。この異邦人の兵士はそれを信じていました。

11節、「なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からやってきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。この国の子ら、神の国の子ら、教会員たちが外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。これは恐るべき悲劇です。というのは神の民は、この異邦人が信じていたように、信じていなければならなかったからです。神の子たちが、この人が信頼していたような信頼を持っているべきだったのです。

そこでイエス様は13節でこう言われました。「それからイエスは百卒長に、『行け、あなたの信じたとおりになるようにと言われた。すると、ちょうどその時刻に、僕はいやされた』。そういうわけで、この人は信じていました。そして彼が信じたとおりになったわけです。あなたは信じますか?あなたの信じたとおりになると、言われています。皆さんはどんな信仰をもっておられるでしょうか。皆さんは神の約束を知っていますか?ある人たちは3700くらいの約束が聖書の中にあると言います。わたしはわかりませんけれども、しかしそれは本当だと思います。しかし約束が3700あるかどうかを知ることが重要なのではありません。もし、皆さんがたった一つの約束しか知らなくてもそれで十分です。ピリピ4章の19節を、皆さんはご存知でしょうか。「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たしてくださるであろう」と書いてあります。これを信じますか?あなたには何か必要がありますか?もしみなさんがこれを信じていれば、神様はあなたにどうしてくださるのですか?これは真実な約束です。これがわたしたちが持つべき信仰です。これが今晩、皆さんにお話ししたいことなのです。

この4日間、わたしたちは福音ということについて学ぶわけです。わたしたちのために神様がどんなことをしてくださったかということについて学びます。みなさんが、あなたが異邦人であろうと、だれであろうと、そのようなことは問題ではないのです。約束はあなたにとって真実です。どうかそれを信じていただきたい。そして神様があなたの人生にどんなことをしてくださるかを見ていただきたい。わたしは心から神の約束は真実であると信じています。そしてわたしが信じているそのことをどうにかして皆さんにお伝えしたい、お分かちしたいのです。

この物語を少し復習してみましょう。聖書が言うには、この百卒長は「自分には資格がありません」と思っていました。しかし、この物語はルカ7章にも書かれています。そしてそこにはこの物語の別の側面を付け加えています。ルカ7章ではパリサイ人たちがこのローマの軍人を知っていたと書いてあります。そして彼らはこの人がイエスに会いに来るということを知っていました。そこで彼らは先にイエス様のところに走ってきて、イエス様に言いました。「この人はわたしたちのために会堂を建ててくれましたから、助けていただく値打ちがあります」。ところは本人は「わたしにはあなたを屋根の下にお入れする資格がありません」と言ったのです。どっちが本当なのでしょうか。この百卒長はイエス様の恵みを受ける資格があるのでしょうか、それとも本人がいうように無いのでしょうか?答えはいかがですか?資格はありませんね。

聖書は言います。「すべての人が罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており」と。罪人は何にふさわしいのですか?死、それがすべてです。この人はそれを知っていたのです。ローマ人の兵士が、自分は何の資格もないという神学、聖書の中に書かれているそのことを信じていた、驚くべきことです。ユダヤ人たちは彼はふさわしいと思っていました。なぜならこの人はこのことをしてくれた、あのことをしてくれた、会堂を建ててくれた、だからふさわしいと、彼らは言ったわけです。そうであれば、わたしも自分がいい人間になれば、ふさわしいと思いたくなるわけです。しかし、わたしたちは良い人間ではありません。気がついておられますか?わたし自身もいい人間ではありません。罪人であります。

神様に近づくとき、自分はふさわしくない、資格のないものとして神に近づくのです。しかし、皆さんに知っていただきたいことがあります。彼は自分がふさわしくないということを知っていました。しかしそれでもなお彼はイエス様のところに近づいて行きました。イエス様のところに来ることを妨げることはできなかったのです。イエス様にしか助けを求めることができないということを彼は知っていました。彼が知っていたこのことを何と言いますか?それを恵みといいます。恵みとは何ですか。まったくふさわしくないものに対して与えられる神様の好意です。ふさわしくないにもかかわらず、この人は神の恵みというものを信じました。それで、彼はイエス様のもとにやってきたのです。異邦人の、ローマ人の軍人です。それよりも皆さんは価値のないものでしょうか?あなたは彼よりも価値のないものでしょうか?そんなことは問題ではありません。わたしたちは皆、罪人です。しかしイエス様は、もしあなたがたがわたしのもとに来るならば、あなたを追い払ったりしないと言っておられます。聖書は、だれでも神のみ名を呼ぶものは救われると言っています。

わたしは皆さんがどういう方であるか知りません。だれにも会ったことはありませんから。過去にどんな悪いことをなさったか。今日どんなに悪かったか、気落ちしているか、失敗してしまったか知りません。しかしこのことは知っています。神はあなたを愛しておられます。そして神様のもとに皆さんが来るときに、あなたの祈りを聞いてくださるということを。というのは、イエス様は、異邦人の、ローマの軍人の祈りを聞いてくださったのですから、あなたの祈りを聞いてくださらないということがどうしてあるでしょうか?このローマの軍人はどこに力、権威があるかを知っておりました。力は神の言葉の中にあります。彼はそのみ言葉をとり、それを信じ、そしてその言葉に従って行動したのです。神様のほまれというのはその御言葉の中にあることをご存知ですか?神様が皆さんに嘘をつかれるなどということが想像できますか?それは信じがたいことですね。神は誰に対しても嘘をつく必要などありません。どんな人にも嘘をつくことはありません。しかし神様はみ言葉によって皆さんに近づいてくださいます。そしてこれらはみな真実であります。嘘は一つもありません。すべての約束はあなたのものです。すべての命令は服従を要求しています。そして信仰がすべてのものを受け取ります。こういう風に生きられたらと思います。このような本当の信仰が今日わたしたちに必要であります。わたしたちは、今、イエス様が天の聖所で奉仕をしておられる、そういう時代に生きております。イエス様は神の民を完成しようとしておられます。黙示録18章の1節には神の民を通して神の栄光を輝かせたいというように書いてあります。そして、それを神様のみ言葉をとおしてなさるのです。

詩編33篇をご一緒に開いてください。6節を見ましょう。「もろもろの天は主のみことばによって造られ、天の万軍は主の口の息によって造られた」。そして、9節。「主が仰せられると、そのようになり、命じられると、堅く立ったからである」。かつて神様は天体に向かって仰せられました。それらはすべて従いました。しかし、人に神様がお語りになるときには、それ以上のものがあるのです。というのは、神はわたしたちに選択の力を与えておられるからです。驚くべきことです。神様は、皆さん一人一人に選択する力をお与えになっております。あなたは神様の仰せになることを信じることができますし、あるいは拒むこともできます。そして神様のおっしゃることを信じなければ、神様の約束は何の効果もありません。約束を信じるなら、その約束はあなたにとって真実なものとなるのです。これは驚くべきことであります。

同じような聖句がイザヤ書の55章にあります。神様が語りかけていらっしゃいます。11節、「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事をなす」。皆さんはそれぞれ、様々な必要をもっておられることでしょう。この世界のすべての人は大きな必要を持っています。わたしたちの必要はほかの人とは違うでしょう。今日わたしは病気ではありません。ですから癒される必要は感じません。今日、わたしは貧しくはありません。ですから、お金の必要は感じません。でも、わたしにはとにかく大きな必要があります。

一つのお話をしたいと思います。詩編の128編をお開きください。わたしは人生の9年間を地下の鉱山で働きました。25歳の時に聖書を読むようになりました。27歳でセブンスデー・アドベントストになっていました。セブンスデー・アドベンチストになってから、わたしは鉱山の働きを辞めました。それから小規模の自給伝道者訓練の機関に行きました。2年間そこで生徒として学び、その後1年間はスタッフとして働きました。それから、わたしをそこの長にさせられました。かなり無茶なことだったと思います。説明しがたいことですが。長となるために十分なことを知っていませんでした。神様は時々、変わったことをなさいます。神様はヨセフを牢獄から引き出して、エジプトの総理大臣にしました。それはおとぎ話ではなく、実話です。信じられないようなことですが、本当のことです。

わたしは聖書のことについて多くを知っているわけでもなく、さらにリーダーシップについてはもっと知りませんでした。ところが今や長になっているのです。ですから知っていることをしました。知っていることと言えば、ただ一生懸命働くということでした。妻もいますし、指導者としての理想は、誰よりも一生懸命働くことでした。学校に、生徒が多すぎて宿舎に入れないといえば、自分の家に住まわせました。人が訪ねてくれば、お客様としてわたしの家庭に受け入れました。重い荷物を持っている人がいれば運んで手伝い、難しい仕事があればその仕事をしました。

1年半ほど過ぎたころ、妻がやってきて、「こんな生活は耐えられない」と言いました。「天に救われるために自分で働くことはできません。もうここを出て行くべきです」と。「ここを出て行けないよ。神様がここに僕たちを導かれたことはわかるけど、ここを出るべきだということは見えない。僕に責任をお与えくださった。それを自分で放棄するようにとは、神様はおっしゃっていない。わからないけれども、出ることはできない」とわたしは言いました。それで妻は「まあ、いいでしょう」と言いました。

さらに1、2年たって、妻がまたやってきて、同じ苦情を言いました。「子供を連れて出て行きます」。「わたしたちは働きすぎだわ」。わたしは言いました、「神が僕たちをここに導かれたのはわかるけれども、ここを去るべきかどうかはわからない」。妻は「いいわ」と言いました。

また2年が過ぎ、ついに妻は離婚という言葉を口にするようになりました。事態は深刻になりました。それでわたしも深刻に受け止めるようになりました。皆さんだったらどうしますか?わたしはこのようにしました。詩編128篇。そこには素晴らしい約束があります。「すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。あなたは自分の手で勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう」。さて、よく見てください。「あなたの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んでオリブの若木のようである。見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る」。そこでわたしこの約束を自分のものとしました。

そして毎朝、毎夕この約束をもってイエス様のところに行きました。聖書を掲げて、この約束を指さして、神様の鼻先に差し出し、言いました。「主よ、あなたがこれを約束なさいました。わたしの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶブドウの木のようであると」。そしてこの約束を、毎日毎日、朝夕、神様に要求しました。何週間何週間も過ぎ、何か月も過ぎて行きました。いったいどのくらい長くこの約束を要求したかわかりません。また、この約束を求めるのをいつ止めたのか覚えていません。時には忘れていました。

10年後、ある朝目覚めたときのことです。それはわたしが説教のためにノルウェーにいた時のことで、その朝聖書を調べていました。そしてもう一度、この約束を読んだのです。そして、この約束はどうなったのかと考えました。当時はわたしたちはアフリカで働いていました。妻は喜びをもって奉仕していました。妻の話をこの週末にさせてもらいますが、妻は教育のある者ではありません。わたしもそんなに教育を受けてはいません。けれどもわたしはみ言葉を34の国々で説教してきました。妻はタンザニアで、ある機関の長をしておりました。建築を管理し、55人の部下がおり、彼女は素晴らしい働きをしていました。本当に実り豊かな働きをしていました。子供たちですが、息子はアフリカで自分の機関の指導者をしており、パイロットであり、整備士であり、バイブルワーカーを訓練しています。子供たちは皆、教会に来ています。どの子どもも宣教師です。彼らは3つの違った国に住んでいます。それは困ったことですが・・・。なぜなら12人の孫がいますが、なかなか会えません。しかし、子供たちが宣教師になるようにと祈ってきたのですから、不平は言えません。

皆さんには何か必要がありますか?聖書の中に、あなたの必要に合う約束があるのです。その約束をぜひとも見つけてください。そして、神の御座の前にそれを訴えていただきたいのです。「わたしには資格がありません」と言わないでください。「神様はわたしの祈りにはお答えにならない」と言わないでいただきたい。それは本当ではありません。そのような考え方は不信仰です。そして不信仰によって、神様の約束を台無しにしてしまうことになります。

わたしは9年前にコロラドにある自給伝道機関エデンバレーの責任者になりました。そこには行きたくはありませんでした。というのは、わたしは当時OCI(アウトポストセンターズ・インターナショナル)副会長で、世界中にあるOCIの機関の牧者として働いていました。各々の機関の経済状況の心配をする必要もなく、働き人のことを心配する必要もありませんでした。わたしがさせて頂いたことはただ色々な国に行って、福音を宣べ伝え、そして会議の席に座っていればよかったのです。とてもいい仕事でした。ところがですね、エデンバレーに行きなさい、と言われたのです。給料は少ないし、頭痛の種がたくさんありました。わたしは行きたくはありませんでした。しかし神様は、「行きなさい」とおっしゃったのです。そこでわたしは行きました。

そこに着いた時、エデンバレーの状態はわたしを失望させるような状況でした。経済的にも低迷しておりました。しかし6ヶ月の内にすべてがよくなりました。それは何もわたしがビジネスに長けていたからではありません。わたしはビジネスマンではありません。しかしわたしたちが服従するときに、神様はどんな人でも祝福なさることのできるお方なのです。そしてわたしは神様にお従いし、神様はその結果として祝福してくださいました。そこで経済的に良くなってきたので、わたしは働き人の給料を月額100ドル引き上げました。それを3年続け、合計で月給を300ドル引き上げたわけです。神様は祝福してくださいました。その祝福はわたしが特別な祈りをするまで続きました。

わたしはひざまずき、エデンバレーにおいて神様ご自身の栄光を現してくださるようにという祈りを始めました。わたしにはわかっていました、わたし自身がまずへりくだらなければ神様はそのことをお出来にならないと。ですからわたしをへりくだらせ、謙遜にしてください、と祈りました。危険な祈りです。非常に危険です。この祈りを始めるや否や、すべてが下降状態に陥って行ったのです。

わたしたちは引退者のための施設を経営していましたが、いつも満杯でした。ご存知のように、そこにいる方たちというのは老人です。そしてどういうわけが、その人たちが亡くなっていきました。一人またひとりと亡くなっていったのです。普通は空きが出来たら新しい入所者を入れるのは簡単なのですが、それが出来なかったのです。そして入所者が次々と亡くなっていきました。ついにその引退者の施設を閉鎖せざるを得なくなりました。

ところで、ライフスタイルセンターがあるのですが、それもいつも満杯で、収入がありました。それまでうまく行っていたのです。しかし、人々は来なくなってしまったのです。そこで6ヶ月間もライフスタイルセンターを閉じなければならなくなってしまいました。

さて、この頃わたしは約2,500万円を引き出し、これを有機農法の農場のために投資しました。新しい農機具を買い、とてもよい農場経営者もいました。預言の霊は農業と言うのは教育のABCであると言っています。どうしてそれを失うことが出来るでしょうか?しかしわたしはそれを失ってしまったのです。そしてその農場経営者は毎年赤字を出しました。わたしはまるで世界中で一番大きな失敗をした人のようでした。失敗はしたくないですよね。皆さん、失敗したいですか?誰も失敗したくありません。しかしわたしがすることすべて失敗していくのです。

そこで祈り始めました。朝起きて1時間祈りました。昼食のとき30分祈りました。そして夜は山に登って1時間祈りました。冬になって暗くなってもそれでも暗い中を山に登って毎日祈りました。そしてわたしが祈れることはたった一つ、「神様、助けてください」ということでした。もうその時には、どういうことが起こっているのかわたしはわかっていました。神様御自身が栄光を現して下さるように願ったので、神様がわたしをへりくだらせているのだと。わたしは神様がわたしを謙虚にさせていらっしゃるとわかっていました。そしてまた最後にはきっと神様が御自身の栄光をあらわしてくださるということもわかっていました。でもどのくらい続くのだろうか、いつ終わるのか、いつこれが止むのか?

2008年、神様が助けてくださらなければこの機関を続けることはできないという結論に至りました。機関には資金も全くありません。そこで理事会を召集して、話し合いをしました。そして理事会で約1,500万円を銀行から借りてもいいかと計りました。理事会はどうやってそれほどのお金を返済するのかと聞きました。「わかりません、返す方法はわかりません」とわたしは答えました。理事会は「お金を借りてもよろしい。しかし、もし失敗したらわたしたちはこの機関を閉じて売ることにする」と言いました。わたしはお金を銀行から借り受け、その1,500万円の中から約300万円を1,500万円の返済金のために取り分けて置きました。わたしは神様がその年の終わりまでにその問題を解決してくださることを願っていました。というのもその年の終わりまでの資金が残っていたからです。

そしてわたしは手紙を書きました。そしてそれをニュースレターの配布リストにある1000人の人達に送りました。わたしはこう書いたのです。「わたしは困難の中に置かれています。あなたの助けが必要です」。 そしてどのような状況であるかを説明し、その手紙を送りました。何が起こったか皆さんおわかりになりますか?その手紙を通して、2,400万円の献金が与えられました。すぐに銀行に1,500万円を返済して、約900万円のお金が手元に残りました。

それから、ライフスタイルセンターが再び満杯になりました。

そしてまたわたしはもう一つの経験をしました。3ABN(スリーエービーエヌ)をご存知ですか?テレビジョンネットワークの3ABNです。そのリーダーとプロダクションの責任者の二人とも病気でした。そこで運営委員会を開き、この二人をライフスタイルプログラムに無料で招待しようと提案しました。委員会のメンバーはだめだと言いました。3ABNには他にも多くの働き人がいるのにどうしてこの2人だけ無料に出来るのですか?そうするのだったらすべての人のためにしないといけない。でもわたしは、それは不可能だ、もし全員が来たらわたしたちは破産してしまうと思いました。でも委員会は「そうしましょう」と言いました  そこでわたしは3ABNに手紙を書きました。「働き人全員がエデンバレーのライフスタイルプログラムに参加できます。費用は無料ですが、自由献金をお願いします」。わたしはもうダメだと思いました。わたしたちはもう終わりになると思いました。

まず最初にプロダクションの責任者がやってきました。彼は癌を患っていました。3週間の内に癌がなくなりました。完全に癒されたのです。テレビでエデンバレーで癌が癒されたことを全世界に伝えました。そして再び、今度はカメラを持ってエデンバレーにやって来ました。そして1時間にわたるエデンバレーに関するドキュメンタリー番組を作ったのです。そして3ABNで3回わたしにインタビューしました。これは3年前のことです。その3年前からわたしたちのライフスタイルプログラムはいつも満杯です。

さて20歳の若者がエデンバレーに来ました。彼は癌でした。わたしたちは彼に手当てを施しました。彼は3ABNの人ではありません。ところでたくさんの人が3ABNのプログラムを通してエデンバレーにやって来ました。わたしたちは赤字になることはありませんでした。3ABNの人達に来ていただいたおかげで、わたしたちは赤字になるどころか収入は増していきました。神様が祝福してくださったからです。そのような頃、この青年がやってきたのです。彼は癌でした。わたしは彼と友達になり、一緒に聖書の学びをしました。しかし彼は亡くなりました。

彼は亡くなる前に、母親に「僕にはお金があるの?」と聞きました。母親は「大体4、5億円のお金があるよ」と答えました。もし皆さんに4、5億円のお金があったらどうしますか?彼はどうしたらよいかわかりませんでした。それで彼は母親にエデンバレーに1,000万円寄付するように頼みました。また、彼は亡くなる前に、わたしに告別式をしてほしいと両親に頼みました。わたしは彼の告別式を執り行いました。彼の父親はもう1,000万円をエデンバレーに寄付してくれました。そして一年後にこの同じ父親がエデンバレーに1億円を寄付してくれました。この人はアドベンチストではありません。神様はご自分がお望みになることは何でもお出来になれるのです。

それから神様は、エデンバレーのわたしのところに副責任者をつかわしてくださいました。これは神様が下さったプレゼントの中で最高のものです。その人は女性です。韓国人の女性で、本当に素晴らしいビジネスウーマンで、見事な働きをしてくれています。そして贈り物が次から次にやって来ています。すべてのことが再び順調にいくようになりました。

わたしたちはラスベガスで“イツ イズ リットン”(It is written)というグループと一緒に働いています。来年は伝道集会をわたしたちの地域でやりたいと思っています。

マラナ・タのグループがエデンバレーにやって来て、すべての家と建物を修理して下さいました。そして新しいライフスタイルセンターを今建てようとしています。

神様は御自分の栄光を現し始めておられます。なぜならわたしがそれ必要としていたからです。わたしがそれを神様に求めたからです。そしてわたしをへりくだらせてください、とお願いしたからです。そしてそれは痛みを伴うことでした。とても痛みを伴いました。もう同じ経験を二度としたくありません。しかしこの経験を他のなにものとも取り替えたいとは思いません。

神様は天に居られます。そしてわたしたちと共に働いて下さるのです。わたしたちの祈りを聞いて下さいます。わたしたちにはそれを受ける資格はありませんが、神様は本当に恵み深い方です。ですから決して怖れてはなりません。どんなに自分が罪深いかということで神様を怖れてはなりません。自分がいい人間だと言うことも考えてはいけません。神様が本当に恵み深い方のなのです。そして皆さんが神様に求めるときに、神様は皆さんに特別なことをして下さるのです。信じてください。これから数日間、放蕩息子のたとえを一緒に学びたいと思います。福音をそこに見出したいのです。皆さんにそれを信じていただきたいとお願いしたいと思います。

お祈りをしたいと思いますが、日本ではどのようになさるか分かりませんが、どうぞお立ち下さい。

天にいらっしゃる神様、今晩わたしたちと共にいて下さったことを感謝いたします。あなた御自身を本当に忠実に現してくださった事を感謝いたします。わたしたち一人ひとりの必要がどのようなものかあなたはご存知です。どうかその必要に答え下さるようにお願いいたします。そのことを信じて心からあなたに感謝いたします。この週末一緒に学ぶときにどうぞわたしたちを祝福してください。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。

2.ふたりの息子